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ひと気なき傾斜の先に ②

last update Huling Na-update: 2025-07-21 06:54:03

 アリシアは水路沿いの傾斜に沿って、店のあるはずの一角へと歩を進めた。

 足元には、かつて水が流れていた痕跡が残るだけ。乾いた石畳には苔すら生えず、音のない空間が広がっている。

 アリシアとセラは言葉を交わすことなく、乾いた水路を進んだ。

「あれっ? 水の音?」

 セラが意外そうな表情をして、ほんの少し首を傾けた。

 遠くの方から水の音が聴こえる。

 水と石の微かな呼吸──さざめく水の流れる音が乾いた石畳に反響している。心なしか、空気に湿り気を帯びているように感じる。

 アリシアとセラは歩票を落として歩いて行った。

 音が近づくにつれ、目の前に現れたのは、頭上で弧を描くアーチ状の石造りの橋。

 二人が歩いていた乾いた水路が川に合流している。もう、この付近には水がないと思っていただけに意外な光景だ。

 一部分のみ水が枯れている……

 通常,水の流れが変わらない限りは局所的な乾きなんて起こらない。

 水源が何らかの形で脅かされているか、何者かが意図的に流れを遮断でもしたかのどちらかではないか。

 アリシアは頭上に目を向けた。

 地表には店舗が立ち並び、幾人かの人が歩いている。

 上の世界と下の世界──その二つの空間は同じ場所にありながら、まるで異なる時間の層に属しているかのようだ。

 今、アリシアたちがいる地下水路には人の気配はない。湿った空気と共に息を潜めた気配が辺りを満たしている。

 日常のざわめきと人の気配、そして色と匂い。真上にあるはずなのに、その世界は遠く、遮断されているように感じられる。

 二人は石造りの橋を潜り抜けて、川沿いの細い道を歩いて行った。

 この道を私たちが歩いていることを地表の人たちは気づかないだろう。この道は地表からは死角となっている。上を歩く人々には、この道の存在すら意識されない。そのような造りになっている。

「本当に……グレタってエクレシアへ向かったのかな」

 セラが呟くように言った。

「どうだろうね。少し怪しかったから、話半分に聞いておいた方が良いかも」

 少しの沈黙のあと、アリシアは地図を見つめながら口を開いた。

「ねえ、セラ。あの情報屋、どうやって情報を仕入れているの?」

 アリシアの問いかけに、セラは視線を外して、少し口元を歪めた。

「あいつ、お金で情報を買ってるの。何人か信頼できる人がいるみたいで。だけど口外してはいけない情報
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